テイルズ スターオーシャン バハムートラグーン ルドラの秘宝
スーファミは95年96年でも
100万本〜300万本のソフトが売れて現役だったから
64の発売が遅くなった
ほんと今の落ちぶれからは信じられないほどレベル高かった
TOPはともかくSO1は見切り発車感が凄かった覚えしかないわ
あんま急いで移行するわけにもいかんかったな
1990年(全 9タイトル)
1991年(全 47タイトル)
1992年(全 176タイトル)
1993年(全 269タイトル)
1994年(全 370タイトル)
1995年(全 360タイトル)
1996年(全 152タイトル)
1997年(全 29タイトル)
1998年(全 17タイトル)
1999年(全 14タイトル)
2000年(全 4タイトル)
タイトル数から見ると93年から95年がスーファミ全盛期
晩年は97年以降って感じだろ
まぁGBもポケモンが出てからV字回復で全盛期とかあったし
なにがあるかわからん時代だったからなぁ
家であまりゲームしなかったな
1年後の年末商戦でも、SSがバーチャ2、PSがリジレボなどを目玉とする中
SFCにはドラクエ6や風来のシレンなどがあり、
まあその数か月後にFF7が発表され一気にPSに傾く事になるのだが
64の発売を境にSFCのソフトの発売は一気に減る事になる
やっぱ新ハードが出るとそうなるよな
じゃあそのメーカーはそのまま64へ行ったかと言うと
任天堂にとっては誤算だっただろう
読者コメント
2.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
64は誰もやってなかった
3.名無し
ソフトがまじで高かったな
1万前後当たり前でPSは5800円だっけかな
そら覇権とりますは
4.名無し
何といってもFF7で、それまではまだSFCが強くてSSとPSは勝手に争ってろって感じだったな。
バブルがはじけてきて荒廃的な雰囲気になってったのも任天堂よりPSを後押しした要因だったのかもしれない。
子供心にはゲームとしての完成度はSFCの方が良くて、PSはやはり糞ポリゴンのロード待ちという認識はあった。
それでも当時マジで飛ぶ鳥を落としたスクエアの影響は本当にデカかったな。
5.名無し
1本1万5千円とかあったな
殆どが光栄のシミュレーションであとなぜか囲碁将棋もその価格帯
最高価格が2万くらいの光栄の英語教材的な奴じゃなかったっけ
無駄に小室哲也と篠原涼子使ってた
6.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
セガサターンとps1 の激戦を尻目に空気だった印象
64が出るのが遅すぎた
7.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
全世界累計生産出荷9800万台のプレステ4を定価で買いまくればわかるかもしれませんね!!!
8.名無し
64が出るのが遅かったっていうのもあるが、PS1で多種多様なゲームが登場した事もメーカーが流れた要因だと思う。
9.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
64は少数精鋭だったから名作ばかりではあったんだけどなあ
当時はスクウェアが強かったな
10.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
>>4
あぁ、自分もまさにそんな記憶。
補足するとPSもSSもスタートは緩やかで、任天堂が「ウルトラ64」を出したら一気にひっくり返ると思ってた人も多かったと思う。
あとはスーパードンキーコングのインパクトがSFCに再ブーストかけて、次世代機の勢いを削いだ部分もあったかな。ドラクエ6も控えてたし。
だから96年途中頃まではSFC優勢で、FF7発表からが晩年て感じ。
11.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
>>3
というけど、実際はかなり長期間SFCが君臨してたんだよ。
FF7の発表からみんな移行しだした。
12.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
任天堂もGCまでは良ハード出してたんだよな。
13.(´・ω・`) 名無しのえび通さん
64待ってたしいち早くSSに流れたユーザーはいたものの大半はまだSFCがフル稼働だったはず
SFC遊びながら64待つかーと思った矢先マイナー機だろうと予測に反し一番空気だったPSにFF等のソフトが決まりマルチプラットがまだない時代で一気にPSにユーザーが流れたな
ユーザーは既にディスクでのソフトの安さを知ってしまった後で64は時既に遅し
その時から任天堂専用機が始まったかな、PSでお一人様、64で友人とわいわい
14.名無し
SFC後期は1万円超えてたけど、末期になると逆に定価が下がってた
スターオーシャン8500、ルドラ8000とか
15.名無し
95年前後の晩年はエニックスとスクウェアのドット絵が神ってたイメージが強いな
1.名無し
誤解を恐れずに言えば王道とそれ以外で袂を分かった時代の節目だった。
2019年07月04日 04:31 ▽このコメントに返信