日本のギャンブルの歴史は、古代の双六や江戸時代の富くじを経て、近代の競馬、戦後の公営競技へと続いてきました。遊び方が変わるたびに、賭けをどこまで認め、どう管理するかも議論されてきたのです。現在はスマホで馬券やくじを買える一方、海外のオンラインカジノを日本国内から利用することは認められていません。時代ごとの変化をたどり、現代の制度とのつながりを見ていきましょう。

古代・中世|賭け事は身近な遊びだった

双六の流行と禁止令

日本の賭け事を語るうえで、古い記録に登場するのが双六です。現在の「すごろく」から連想する絵入りの盤を進む遊びとは異なり、古代の盤双六は、さいころと駒を使って対戦するものでした。

『日本書紀』には、689年に持統天皇が双六を禁じたという記述があります。禁止令が出たことは、当時すでに双六が人々の間に広まっていたことをうかがわせます。ただし、古代の遊びをすべて現代の「ギャンブル」と同じものとして扱うのは正確ではありません。遊戯として楽しむ場合と、財物を賭ける場合を分けて考える必要があります。

中世に広がったさまざまな賭け

中世には、さいころや札、勝敗を競う催しなど、賭けの対象が多様になっていきました。結果がすぐに決まる遊びは、仲間内でも行いやすかったのでしょう。一方、金品のやり取りが加われば、遊びを超えて争いや生活への悪影響につながるおそれもあります。

日本のギャンブル史には、娯楽としての魅力と、過熱を抑えようとする統制が繰り返し登場します。この関係は、後の時代にも形を変えて続きます。

江戸時代|札遊びと富くじの広がり

カルタや花札をめぐる規制

江戸時代には、庶民の娯楽文化が発達し、札を使った遊びも親しまれました。ただし、札遊びそのものと、札を使って金品を賭ける行為は同じではありません。幕府は賭博を取り締まりましたが、遊びの形を変えながら楽しむ人々もいました。

なお、花札を「ポルトガルからそのまま伝わった」と説明するのは不正確です。日本に伝わった西洋のカルタなどを背景に、札の図柄や遊び方が国内で変化していきました。歴史を見るときは、道具の由来と、現在知られる遊びが成立した経緯を区別することが大切です。

富くじは宝くじの先祖?

寺社などで行われた富くじは、番号を持つ札を配り、抽せんで当たりを決める仕組みでした。抽せんを待つ楽しさには、現在の宝くじと通じるものがあります。

しかし、富くじと現代の宝くじを同じ制度と考えることはできません。開催主体も、収益の扱いも、適用される規則も異なります。共通するのは「偶然の結果に期待する」という体験です。その体験を誰が、どのような条件で提供できるかは、時代によって変わってきました。

明治から戦前|近代競馬と賭博規制

競馬は戦後より前に始まっていた

参考記事には、公営ギャンブルが戦後になって初めて登場したかのような説明もあります。しかし、日本の近代競馬は幕末の横浜で始まり、馬券の発売も戦前から行われていました。

競馬をめぐる制度は一直線に整ったわけではありません。馬券の発売は1908年に禁止され、その後、1923年の旧競馬法によって法律に基づく競馬と馬券発売が行われるようになりました。戦後の1948年には新たな競馬法が制定され、1954年に日本中央競馬会(JRA)が設立されています。競馬の歴史は「戦後に突然始まった」のではなく、禁止と制度化を経て続いてきたのです。

賭けを認める範囲が法律で定められた

近代以降、賭博は原則として禁止される一方、個別の法律に基づく競馬などは、決められた主体と方法で実施されてきました。この違いは、現代の日本のギャンブルを理解する鍵になります。

「レースを対象に賭ける」「インターネットで購入する」という見た目だけで、合法かどうかは判断できません。誰が提供し、どの法律に基づき、どの方法で購入するかまで確認する必要があります。

戦後|公営競技と宝くじが広がる

復興期に生まれた競輪・オートレース・ボートレース

戦後、競馬に加えて新しい公営競技が広がりました。競輪は1948年に小倉で初開催。オートレースは1950年に船橋で初めて開催され、ボートレースも1952年に大村から始まりました。それぞれ競技の魅力を持ちながら、法律に基づく運営のもとで発展してきました。これらも現在オンライン化が進んでおり、依存症などの心配も広がっています。

宝くじとスポーツくじ

宝くじは1945年に政府による発売が始まり、翌年には地方自治体の復興資金を目的とした地方宝くじも登場しました。後には、サッカーなどの試合結果を対象とするスポーツくじも加わります。競技の着順を予想するもの、数字の抽せんを待つものなど、購入者が期待する結果はさまざまです。

パチンコは公営競技ではない

パチンコも戦後の娯楽として全国に広まりました。ただし、競馬や競輪と同じ「公営競技」に数えることはできません。営業の仕組みや適用される規制が異なるためです。パチンコは現金ではなく、景品との交換を行うため、扱いが異なるのです。

日常会話では公営競技、宝くじ、パチンコをまとめて「ギャンブル」と呼ぶことがあります。しかし、歴史や制度を説明する記事では、この違いを明確にした方が実態をつかみやすくなります。

現代|購入方法がオンラインに変わった

公式のネット投票と海外サイトは別物

かつて馬券や舟券を買うには、競馬場、場外発売所などへ足を運ぶ必要がありました。現在は、認められた事業者の公式サービスからインターネットで購入する方法もあります。変わったのは主に購入する場所と手段であり、競技を運営する法律上の枠組みがなくなったわけではありません。

一方、海外のオンラインカジノやサッカーからEスポーツまで様々なスポーツ種目に対応したスポーツベットサイトについて、警察庁は、日本国内から接続して賭博を行うことは犯罪だと明示しています。海外で事業者が免許を得ていることと、日本にいる人が利用できることは別の問題です。2025年の法改正で初めて利用が違法になった、という説明も誤りです。

比較サイトを見るときも制度を確認する

Casitabiカジノのような名称のサービスを検索すると、紹介記事や比較ページに行き着くことがあります。Betbaka(ベットバカ)も、ギャンブルサイトの比較やおすすめを掲載するアフィリエイトサイトです。たとえばカジ旅の基本情報・まとめというページがあります。ただし、紹介ページの掲載や評価は、日本国内から賭けられることを意味しません。

Casitabiについて情報を探す場合も、Betbakaやベットバカに限らず、比較サイトの説明だけで利用の可否を判断しないことが重要です。オンラインで手軽にアクセスできる時代だからこそ、提供元と適用される法律を分けて確かめる必要があります。

まとめ

日本のギャンブルは、古代の双六、江戸時代の富くじ、戦前から続く競馬、戦後に広がった公営競技へと姿を変えてきました。近年は購入手段のオンライン化も進みましたが、「ネットで買える」というだけで、どの賭けも認められるわけではありません。

歴史を通じて見えるのは、遊び方の変化と、それを管理する制度の変化です。現代のサービスを理解するときも、広告や紹介文より先に、運営主体と日本国内での法的位置づけを確認しましょう。